口下手エンジニアの悪あがき

自動車エンジニアのつぶやき

結論、英語学習の肝は瞬発力

私は根っからの理系人間です。国語、英語にずーっと苦手意識を持ち続けていました。

国語については、日常的に使うことだから国語ができるできないにかかわらず不自由しないと考える一方、英語がしゃべれること強い憧れみたいなものはありました。理系の人間が外国の言葉を自由に操ろうとするなんて、できっこないと、漠然と、理由もなく思っていた。そう、まったくよく考えもせず生きてきたんだー!なんてもったいない。

改めてなんで理系人間ができないのかを考えてみた。ほんとにできないのか?どうすればできるのか?

 

 

 

 

数学と英語の違いとは


理系教科(数学など)は、問題となる文章を頭の中でよくかみ砕いて意味を理解し、過去の問題(経験)と照らし合わせて解き方をひとつひとつ紐解いていく。ある程度時間をかけてもよい。 理系教科は問題自体が複雑で、問題を理解するのにも時間がかかるし、それを解くための糸口を見つけるためにもそれなりの時間がかかる 。一度ひらめいたら、それがあっているかを実証するために、公式、計算を駆使して行動に移る、というパターンだと思います。

 

一方、英語については、今改めてよーく考えると、単純なルールに従った文法と定型文、語彙でパズルのように文章が作られたものを、コンマ数秒という言葉のキャッチボールのなかで高速に応答し合うことだと感じます。実際、文法として教えられる基本はたったの5文型しかない。あとは無限にある動詞、形容詞、副詞などの使い方、用法を瞬発的に使いこなせるかどうかという、単純な要素の組み合わせの連続。もちろん、話したい内容が難しければ難しいものになるでしょうが、基本的にはやはり単語とその用法がむずかしいだけ。

 

 英語はアウトプットまでのスピード重視

理系教科と英語の違いは、つまりインプットからアウトプットまでの圧倒的なその時間の違いにあると考えられる。英語はただただ瞬発力であって、理系教科に比べたら、文法における理論的思考なんかはほんとーに僅かだと感じる。高校生で言うとよっぽど微分積分やってる方が理論としては、むずかしいでしょ。

 

英語は勉強というよりはも訓練

つまり英語と数学のその差によって、勉強の仕方が全く違っていることになる。数学は一つの問題を解くために時間をかけ何度も何度も試行錯誤を繰り返すことができるが、英語は瞬発力が必要なためインプットからアウトプットまでの時間を出来る限り短くするための「訓練」が必要になると考えられる。


単純な繰り返し訓練の中でスピードを求められるために、頭の中でなるべく、現象をイメージとリンクさせてイメージで考えることにする。それによってインプット(置かれる状況、相手の会話、言葉、表情など)からアウトプット(インプットに対して求められる応答、状況説明、相手への回答など)までのスピードが著しく効率的に早くなることが考えられる。(色々なアプローチがあると思われるが、私はイメージを主とした訓練が効果的だと思っています。)


英語のインプットからアウトプットまでの必要なスピードは日本語でも分かると思うが聞いてからほんのゼロコンマ何秒の世界でアウトプットまで持っていかなければいけない。数学問題を解くに比べたら本当に本当に小さな時間だ。その時間の中で頭でイメージを整理し文章を作り出し口から出力しなければいけない。もちろん数学に比べたら理論的な思考はわずかだが、求められるスピード感が違いするぎるため、難易度は相当なものであることに変わりはない。これは訓練なしでは到底たどり着けないと思う。ただし、こういうものだという認識(心構え)が元々なかったならば、いくら文法を勉強していたとしても日本で、日本人に、日本語の説明の授業で勉強していたら、身につくものではないと思う。

 心構えで英語はきっとできる

だからといってできないことではなく日本人が日本語を自由に扱えるように例え英語であっても、所詮は言語あり、母国語の人にとってはなんでもない誰でも持っている能力。言語という技術を使いこなせる技量はもともと人は生まれ持って持っているものだ。本来恐るるに足らない。その力をうまく引き出すために効率的な訓練が必要なだけなのだ。やり方を間違えてしまっては、アウトプットまでのスピードを早める ことなんかできないんだ。

 

ひたすらスピードを、瞬発力を、高める訓練を心がけましょう。