口下手エンジニアの悪あがき

自動車エンジニアのつぶやき

子どもの純粋な好奇心と言葉のまなび

言葉をまなぶということのモチベーションは、純粋な好奇心と、相手に思っていることを伝えたいという無垢な気持ちと、達成した時にいっしょに共感してくれる人がいるという喜び、この気持ちを忘れてはダメだなと子供を見て再認識した話です。

 


幼稚園の子どもが、最近字を書き始めました。


でもまだまだ覚えていない字も多く。毎回、トコトコと寄ってきては「この字書いてみて」「この字教えて」と聞いてきて、聞いたら満足したように、またトコトコと遊んでいる元のところへ戻ってきます。生まれて初めて覚え始めた「ひらがな」。

このニョロニョロっとした鉛筆の黒い跡で、まっすぐな線と丸みたいな形の組み合わせで、「何か」を表現できるんです。口で言わなきゃ伝わらなかったことが、ニョロニョロと書いてある紙を渡せば、伝えたい人に思っていることが伝わるんです。

子どもには楽しくてしょうがない感じで、絵と一緒になにか言葉も書いてます。そして完成したら「パパできた」といって渡してくる。「これは〜〇〇かな?」「これは〇〇ってことを書いたのかな?」「とってもよくかけてるよ!」というやりとりで、ニコニコしながらまた次の紙で何か書き始めてようとしています。


子どもは字を書きたいんです。持ってる物や食べ物、おもちゃなど、それらを字でどうやって表現するかを知りたがっている。そのニョロニョロが一定の規則を守ってニョロニョロしてると、いつのまにか 意味を持って 周りの人に伝わることが分かってきた。それが面白くてしょうがない。だから 周りの人に聞きながら一生懸命書いている。決して強制されたことではなくて、自分が自らが心から書きたいと思って書いている。 その気持ち、やっぱり私は長い間忘れていたなぁ、と感じるんです。もちろん、文字が書きたいってことじゃないですよ。その知りたいという純粋な気持ちが、です。

 

今は何かを知ろうとするとき、それを知ったことで何を得られるか具体的なものを考えてしまう。それが試験の点数だったり、お金だったり、もちろん技術的な知識としてはそういうものがモチベーションであると思いますけども、言葉の学習、文化の学習というものは、根源的にそういうことではないだろ!と思ってしまうのです。純粋な好奇心と相手との価値の共有を喜べる心を持つことが、言語学習のもっとも基本的なモチベーションでないのかな?と。

 

そういう気持ちをいつも忘れないようにしたいものです。自分の気持ちが相手に伝わるという、その心から嬉しいと思う感情を忘れていませんか?


再認識しました。言語学習で一番強い原動力は知りたいという純粋な気持ちからくるものだと、それがあればどんな難しいことでも吸収していくのではないでしょうか。

 

関係する名言を一言、アルバート・アインシュタインより

I have no specail talent. I am only passionately curious.

私には特別な才能などありません。ただ、情熱的な好奇心があるだけです。