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AI、翻訳機時代に英語学習は無意味なのか?

近年、AIによる機械学習の研究が活発になり、既に自動翻訳機というものが一般的にも入手しやすくなってきている。今までも似たようなものがあったはあったが、AIの進歩は目覚ましく、かなり正確に翻訳できるそうだ。現状でこんな状態なので~、これから学習を始めて数年後、10年後には英語を学習する必要は、外国語を学ぶことに意味がなくなってくるんだろうか 少し考えてみた。

 

 
英語と日本語の差を簡単に考えてみると 英語は主語述語動詞から始まり、それに付け加えるように説明する言葉が加わる、 英語は結論から先に言う言語であり、文化である。

 

一方、日本語では言いたいことを最後まで取っておいて修飾に修飾を、説明に説明を重ねて結論を最後に言う言葉。

 

つまり英語と日本語では話をする時に、物事を捉えている順番が まるで違うといえそうだ。考えている順番が違う ということは、それにまつわるバックグラウンドが違う、文化が違うということにつながる。日本語での 考えていたニュアンスが 英語では伝わらない場合がある、逆もまた然り。英語ではストレートにものをいう文化。曖昧な表現、態度を嫌う文化といわれるのも、そこら辺から来ているのかなと推測できる。

 

もしそれが翻訳機などの機械で、英語が流暢な日本語に翻訳された時に本当にその内容が英語で言われたことと一致するのでしょうか? 考えが一致するのでしょうか? 表面的には一致するでしょう。しかしその言葉を発するまでに至るプロセス、文化の違い、言葉を選んだタイミング、言葉を選んだ意識など、まるで理解できていないのではないでしょうか?

 

これが海外旅行のような年に数回会って 定型文で行き来するような 会話 であれば何も問題ないと思います。 ただしそれが 母国語の人と、その人の性格、生まれたバックグラウンド、文化の違いなど、を深く理解しようとするときに、全く役に立たないのではないかと思う。


意味はある、今後もあり続ける!と強くいいたい。

 

でも、こういうものに助けられたい時もあるでしょう、

文明の利器の力を思い知らされる時もあるでしょう、

にんげんだもの

 

19.8.23 追記

日経xTECHの記事で以下のようなものが掲載されていました。

tech.nikkeibp.co.jp

 

本当に急激に翻訳制度というものが上がってきているようです。

ただし、これは2つの言語間の単純な意味の置き換えを機械がやっているということに過ぎないわけで。

 

人間対人間の心に琴線に届くような、本質となるコミュニケーションには絶対にならないと思います。

 

みなさん、英語学習を頑張りましょう。